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『第2回未来のお医者さん・看護師さん作文コンクール』
優秀賞作品一覧



水野 藍 様(東京都江東区立辰巳小学校6年)

「未来のお医者さん」

水野 藍

 私は、お医者さんはすごいと思います。それは、色々な病気をした人でもやさしく看病をしてその人の病気を治してあげられるのがすごいと思います。私のおじさんは去年検査をして、「ガン」と発覚されました。私は、その時とてもかなしかったです。でも、そのお医者さんは、一所懸命におじさんを助けようとしてくれました。おじさんも、病気と戦って私もずっと願っていました。手術は成功しとてもうれしかったです。この時にお医者さんは、とってもすごい人だと思いました。私がもしお医者さんでこんな病気の人がいたら多分、とても自信をなくし、助けられなかったと思います。私も入院をした事があります。血液の病気にかかりました。でも、お医者さんはとてもやさしく3歳だったので、本もよんでもらいました。私はやっぱりお医者さんはなんでもできて、すごいと思います。
 私もお医者さんだったら、絶対に患者さんの前ではいつでも笑顔でいられるお医者さんに私だったらなりたいと思っています。これからも、お医者さんにがんばって、いろんな人を助けていってほしいと思っています。


林 正基 様(徳島市立大松小学校4年)

「未来のお医者さん」

林 正基

一年前、ふ段元気すぎて困るくらいの母が、おどろくほど元気がなくなった。
「頭が痛い。ふらふらする。もうだめ。」
と、言い残して、いよいよ病院へ行った。
脳外科、耳鼻科、じゅん環器科と病院をまわり、夜の八時、ようやく母が帰って来た。
 ぼくは、病院から帰った母を見ておどろいた。元通りとはいかないまでも、いつもの元気な母にもどっていたからだ。理由を聞いて、ぼくはもう一度おどろいた。じゅん環器科の坂東先生の事を聞いて!
 どうやら、母の頭痛やふらふらは、血圧が異常にはね上がっていたせいらしい。坂東先生は血圧を下げる薬を飲むよりも、ストレスをとりのぞく事、食事に気をつける事、運動する事などをすすめてくれたそうだ。母は、「先生と話をしているだけで、心が落ち着く。気持ちがすっとするよ。」と、言っていた。(注射をしたり、薬を出してくれるだけがお医者さんじゃないんだ・・・。)
 それから母は、定期的に坂東先生の病院へ通い、元気をもらって帰って来る様になった。
 ある日、ぼくは母にたのみ、病院へついていく事にした。病院でぼくは又々おどろいた。
 建物は、とても病院とは思えないすてきな造りで、中は木の香りがしている。受付の人や看護師さんは家族みたいにやさしい。そして、坂東先生は・・・母の言っていた通り、話をするだけでやさしい気持ちになれる人だった。
 テレビなどで、お医者さんの技術は年々レベルアップしているとか、医療機器もすぐれたものが開発されていると聞く。手術で病気を治すことも大切だけれど、坂東先生のように、患者さんの事を心から心配して、患者さんを安心させてあげる事の出来るお医者さんが増えたらいいのに、と思う。
 ぼくは、今も未来も、病気とたたかっている人達にやさしいお医者さんが、世界中に増える事を、心から願っています。


大村 弘明 様(東京都練馬区立光が丘第三小学校3年)

「未来のお医者さん・看護師さん」

大村 弘明

 ぼくは、小児ぜん息です。発作が起きないように、毎日毎日、薬を飲んだりきゅう入をしなければなりません。発作が起きると、息がゼイゼイしてとても苦しいです。夜もねむれないことがあります。救急車で病院にはこばれて、そのまま入院したこともあります。
 学校の保けん室で休んでいたら「ズルしてさぼっている。」と、いじわるを言われたこともあります。とてもかなしかったです。
 苦しくて夜ねむれなかった時、お母さんは一晩中、ぼくの背中か足をずっとずっと、さすってくれました。お父さんは。仕事を休んで、ぼくのそばにいてくれました。とても苦しかったけれど、なんだか安心しました。本当に、ふしぎです。
 苦しい時や痛い時に、「だいじょうぶだよ。元気になってね。」と心をこめて手をあてると、落ちついて、元気が出てくるそうです。
「だから、手当てって言うんだよ。」と、お父さんが教えてくれました。
 未来には、ロボットがむずかしい、手じゅつを上手にしてくれるようになるかもしれません。でも、どんなに科学が進歩しても、ぼくは、ロボットには、できないことがあると思います。人間にしかできないことがあると思います。
 大人になったら、ぼくは、お医者さんになるかどうか、わかりません。でも、ぼくは、ぜん息で苦しいこととか、いやなことがたくさんあったので、病気の人の気持ちがよくわかります。手をにぎったり、背中をさすってあげて、「だいじょうぶですよ。かならず元気になりますよ。」と、はげましてあげたいです。お父さんかお母さんが、してくれたように、今度はぼくが病気で苦しんだり、不安な人をはげまして、あげたいです。


岡崎 佑哉 様(中頓別町立中頓別小学校5年)

「未来のお医者さん」

岡崎 佑哉


王監督の手術のことを聞いて、出血が少なく傷口も小さいことに驚きました。これが近頃普及してきた内視鏡による手術の常です。
 でも、これは画面をよく見て、二本のレバーを細かく動かして内視鏡の先についた鋭いメスを遠隔操作しなければならず、よほど手先の器用なお医者さんしか使いこなせない道具です。つまり名医だがこれによる手術ができないという人も多いと思われます。かといって手術は医療行為なので、今後他の知識はないがこの機械の操作は抜群の『内視鏡師』などが生まれるとも思えません。
 この機械が少しずつ進歩してくれればよいと思っています。最終的に精密に再現された体内のようすがモニターに映され、タッチペンやマウスで手術の方法を適切に指定し、人間の体の構造と考えられる手術の手順を全て覚えこんだコンピューターと対話しながら手術できるようになればより普及すると思うし、このことで各専門分野の医師を確保できないぼくの住んでいる地域のような場所でも、機械の挿入と患部の摘出、そして縫合といった最初と最後の作業以外は遠隔操作で遠くの都市の医師が手術を行うことができるかも知れません。
 このためには絶対に通信の途切れない専用の光通信回線、全国にこの機械を責任を持ってメンテナンスする会社が組織されること、そして何よりも今まで以上にわかりやすい説明と自信に満ちた態度のお医者さんが必要です。「ぼくは専門外なのですが、まあよその人が大部分やってくれる手術だから・・・」などという頼りないお医者さんや、ロボットのように黙々と、先方の医師としか会話せずに治療を行う冷たいお医者さんではとても遠隔操作の手術などお任せできないと思います。
 ただ、これは医師がその地域にいることが前提条件です。ぼくの町から病院がなくならないことを祈るばかりです。


佐宗 菜美 様(東京都世田谷区立給田小学校6年)

「未来の看護師さん」

佐宗 菜美

「ピッピッピー」
突然ナースステーションの機械が波を描いていたのに一本の横線になり音は聞こえなくなりました。祖母はこの時帰らぬ人になりました。平成十八年九月十九日病院の早朝の出来事でした。夜勤の看護師さんが祖母に最後のお世話をしてくれあっと言うまに美しい祖母の寝顔に変身させてくれました。
 私は、休日になるとお父さんの車で病院に行き、祖母の手を取り声かけしていました。祖母は何ヶ月も点滴をして体の痛みと戦い、そんな姿を見るのが辛く何回も病室から抜け出したくなる気持ちになりました。母は祖母のベッドの横に寝ないで看病をしました。
 祖母が入院して看護師さんの仕事を知り、たくさんの事を学びました。
 母は看護師さんの仕事に、感動と感謝の気持ちを込めて病院の院長先生に、
「ありがとう。」
のお手紙を書いて、病院の投書箱に入れてました。
 こんなに看護師さんから学ぶ事ができたのは、祖母のおかげだと母はいつも言っていました。私も、母と同じ気持ちでいっぱいでした。
 私は看護師さんが大勢の患者さんの病気を治す為に一生懸命に働いている姿に感動しました。祖母から命の大切さを教えていただき私の将来の夢は、患者さんの心が分かり、たくさんの命を助けられるような看護師さんになりたいと思います。


森山 心月 様(大分市立明野北小学校5年)

「未来の看護師さん」

森山 心月

「森山先生、心臓病の患者さんがたいへんです。至急手術室にお越しください」
看護師さんのあわてた声。緊急オペだ。
この病院に医師は私だけ。
そうこの島に医師は私だけなのだ。
私は手術着に着替え、大きく深呼吸して手術室のドアを開ける。
私が手術室に入ると同時に、いくつものモニターの電源がオンされた。
「ドクター森山、君の専門外の緊急オペだ。でも世界中にいる仲間が君を援護する。がんばるんだ」
スピーカーからニューヨーク心臓病研究所の所長の声がする。
「はい」
私は緊張して、そう答える。
「さぁメスを握って。心臓外科のことはぼくに任せてよ」
尊敬する葉山ハートセンターの須磨院長がモニター越しに私に語りかけている。
私は勇気を出して、メスを握りしめた。
一時間後、無事に手術は成功する。
モニターから私の手術を注視していた世界中の医師が、拍手とねぎらいのことばをかけてくれた。
 そう二十一世紀には、医療ルネッサンスの名のもと、医師たちの世界的ネットワークが確立し、たった一人でも困難な手術をこなすことが可能となるはずだ。ニューヨークだろうがケープタウンだろうが与作国島だろうが問題無い。
世界中の医師が、インターネットを介して貴重なノウハウを授けてくれる。
困難な病気と闘う患者さんを救うために。
明日への希望を患者さんに与えるために。
それは、世界中の「医師」が一致団結した、未来への大いなる「意思」なのである。


相原 秀哉 様(新井小学校2年)

「いたちごっこ」

相原 秀哉

「しゅうや、耳から、ちがでてるぞ」
友だちのたかが、かおをちかづけていった。
「だいじょうぶだよ」
ぼくは、ティッシュで、耳の中をふきながらいった。
(今日も、ふじまき先生のところにいかなきゃなぁ・・・)
 ふじまき先生とは、耳の先生だ。
 三年前、ぼくがようちえんにいっていたときも、耳だれが出た。おかあさんは、大さわぎで、ふじまき先生のところに、ぼくをつれていった。
 先生は、ぼくの耳をみると、むずかしそうなかおをした。
「これは、長くかかりそうだな。」
ぼくの耳は、しんしゅつせい中耳炎というびょうきだと、あとからおかあさんにきいた。
 いたくないから、びょうきだなんて、ぜんぜんわからなかった。
 それから、まいしゅう、先生のところにかよった。せっかいも何回もしてもらった。
 一年くらいたったとき、くだを入れてもらった。まわりの音が、こんなによくきこえるのかと、うれしくなった。
 しかし、一週間くらいしいて、耳だれといっしょに、くだが出てきてしまった。
先生のところにもっていくと、先生はわらっていった。
「もう一回いれようね」
 先生は、ただで、くだを入れてくれた。
 でも、また何日かすると、出てしまった。
「また、入れようね」
 先生は、また、ただで入れてくれた。
 それから、しばらくしてまた出てしまった。
「こりゃ、いたちごっこだなぁ」
 でも、先生のかおは、いつもニコニコ。
 ぼくも、大きくなったら、先生のように、ニコニコ患者さんと、いたちごっこできるような、心の大きな先生になりたい・・・


小野村 龍 様(昭和女子大学付属小学校1年)

「未来のお医者さん・看護師さん」

小野村 龍

 ぼくは、にんげんだけでなく、ちきゅうじょうのどうぶつやしょくぶつも、ぜんぶなおすことができるおいしゃさんになりたいです。
 きょねんぼくは、ころんでまえばをおってしまいました。とてもいたかったし、ちがいぱいでこわくなりました。すぐにタクシーでびょういんにいきましたが、こどものはいしゃさんはいないといわれて、ちがうびょういんにいきました。そのびょういんでもだめでした。ぼくはタオルで口をおさえながら、ちがでてしんでしまうのではないかとふあんでした。
 三つめのびょういんで、やっともとにもどしてもらいました。いまではおとなのはもはえてきて、とてもよかったとおもいます。そのときぼくは、だれのどんなけがやびょうきもなおせるおいしゃさんがいたらいいのになぁとおもいました。
 ぼくたちは、たくさんのいきものといっしょにちきゅうにすんでいます。にんげんだけびょうきをなおしてほしいとおもっているはずはありません。じゅういさんにいけないどうぶつやむしやさかなやくさやきだって、びょうきでくるしんでいるかもしれません。
 ぼくたちのからだにはたくさんのさいぼうがあって、その一つ一つがいきているからぼくがいます。ぼくのさいぼうの1つがびょうきになったら、からだぜんぶでなおそうとします。おなじようにちきゅうにいきているにんげんもどうぶつもむしもさかなもしょくぶつも、ちきゅうのさいぼうの一つ一つだとおもいます。だから、びょうきになったらちきゅうのいきものみんなでなおさなくてはならないとおもいます。
 ぼくはちきゅうのおいしゃさんになって、だれでもどんなびょうきでもなおしたいです。びょういんにじぶんでこられないひとや、いきものたちをさがしてあるいて、せかいじゅうをたびしてなおすおいしゃさんになりたいです。


岩間 二果 様(仙台市立広瀬小学校5年)

「未来のお医者さん」

岩間 二果

 今年の夏、また私の幼い弟が救急車で病院へ運ばれてしまった。
 私は五人兄弟の四ばん目。下には七つ離れた弟がいます。その弟は家族の中でただ1人食物アレルギーという病気をかかえています。限られたものしか食べられないので、体に合わないものを食べてしまうと、すぐ顔が真っ青になり、アナフィラキシーショックを起こしてしまうのです。運ばれたのはこれで四回目。意識がなくなり体が冷たくなっていく弟をみて、何もできない自分が悲しい。他の兄弟もみんな同じ気持ちでいると思います。
 弟が治療に通っている病院は、アレルギーと小児喘息の子供達が沢山来ています。病院内には「アレルギー認定医」という表示がありました。その先生は患者を親身になってみてくれるとてもいい先生です。
その先生を見て「私も医師になりたい。人を救いたい。」そう思ったのが医師になる夢を持った第一のきっかけです。もう一つの理由は、新聞記事と母から聞いた話です。最近の新聞では医師(特に小児科医)がだんだん減ってきていると書いてありました。私は、なぜ病気で苦しんでいる人がいるのに治す人が減っているのか不思議でなりませんでした。
母も、「どうして病気と闘っている人が大勢いるのに医師は少なくなるのかねぇ。」と暗い顔をして言います。
 少子化が進む世の中で、もっと子供にやさしい社会であってほしいと、心から願わずにはいられません。
 私は将来弟の通院している病院の先生のように、患者さんとお母さん達の立場になって考えるよな人間になりたいと思います。
そのために、今から一生懸命勉強し、姉たちが難しいと言っている医学部に入りたいです。そして、できればアレルギーを専門に勉強し、多くの子供達を助けたいと思っています。
いつかはきっとこの夢をかなえます。


松並 百合愛 様(小林聖心女子学院小学校5年)

「未来のお医者さん」

松並 百合愛

 私は小さい頃からいろんな病気にかかり入院も繰り返してきました。母は大変心配してくれますが、私自身はそんなに大変だと自覚したことはありません。だって私のかかりつけ先生は、いつも笑顔を絶やさない元気印のお医者様だからです。
 私が四才の頃喘息の発作ではこばれた時、慌てる母を制して先生はちっとも慌てず
「大丈夫、大丈夫」
とすぐに治してくださいました。ひどい高熱で入院した時も、眼振という珍しい目の病気の時も、笑顔で安心させてくださいました。そんな先生に会うと、それだけで私は楽になれます。だから先生の笑顔は魔法のお薬です。
 私が四年生になり、喘息も大分良くなってきたと喜んでいたところに、今度は祖母が脳梗塞になりました。寒い冬の夜、祖母は舌がもつれてしゃべり辛いといい、さらに高血圧でめまいもしました。私が前に立ち母が後ろから支え、祖母を先生のところに連れていきました。大好きな祖母が心配で私は泣きそうでしたが、病院までの道、祖母が心配にならないように涙をこらえて先生を思い出して一生懸命明るいお話を続けました。
 診療室の扉を開けると先生はにっこりと
「もう大丈夫だよ。ゆっくり説明して」
 と言ってくださいました。それからMRIを撮り薬を処方していただき、今では祖母も一緒に旅行に行けるほどになりました。
 祖母は後日病院への道中私が明るく振る舞ったので気が楽だったよ、と言ってくれました。
 私も将来、先生のようにいつも笑顔で接して人に安心や喜びを与えられる医師になりたいです。そしていつか先生がお年寄りになられた時、私が恩返しをできたらな、と思います。まだずっと先のことですが・・・。
 それでは先生、祖母ともどもどうぞよろしくおねがいいたします!


椎野 春奈 様(八万南小学校3年)

「未来のお医者さん・看護師さん」

椎野 春奈

 わたしが大人になったときの未来のお医者さんやかんごしさんたちは、わたしのすんでいる町もすがたをかえてにぎやかで、すごくつかえる新しいきかいをはつめいしているでしょう。でも、お医さんや、かんごしさんはあまりいなくなると思います。でも、一人一人とても頭のいい人ばかりでしょう。
 わたしはもうおばあさんになったときなんかは、おいしゃさんやかんごしさんはいないと思います。でもいたらいいなと思います。
 人がびょう気になってもなおせないのは、とても悲しいことです。
 やっぱり、いてほしいのはみんなもそうだと思います。
 「ギャーギャー。」となくあかちゃんの声をきいてもどうすくこともできない。そのままでいつかは死んでしまうびょう気。
 もしかしたらなおせるかもしれないのに。医者がいなけりゃとのまんま。
医者がいたらなおせることもある。
 なおせた病気ももっとひどくなってなおせなくなる。
 そうなったら命がなくなる。
 そうなったらいやだと思う。
どこでも医者がいたらいいのに〜。
 くるしくわめいている子どもたちや、はーはーいいいながら病気になった人もいるかもしれないのに。
「いつまでもいたらいいのにな〜〜〜。」


にい しょうたろう 様(城東小学校3年)

「未来のお医者さん・看護師さん」

にい しょうたろう

「ハーイこれはカゼですねー。」
「いちおうしょほうせんだしとくよ。」
「げき薬ですどくも入ってます。」
「コロス気かー。」
「しかたないですねーではおんどをさげる薬です一日でマイナス5度へります。」
「おおーさっすがー。」
「でものみすぎると死します。」
「はよ言えーいまいわんかったら死んどったどー。」
「まーいい。」
「かえる。」
「あッチョマって。」
「わかッタァマジメにやるわ。」
1びょうご
「なおったよ。」
「早アァ。」
「スゲェェェ。」
「サスガー。」


田中 しの 様(千松小学校3年)

「未来のお医者さん・看護師さん」

田中 しの

 私が大人になったら、お医者さんは、
「ライオンになっている」
と、思います。理由は、ライオンってお医者さにおにあいだからです。
「ほかの人は、あんまりわからない」
と、思いますが、私は、そう思います。
 牛のお医者さんは、いさぎになっていると思います。理由は、うさぎとライオンのなかがいいところを、テレビで見たからです。
 みんなんは、
(うそだめ)
と、思いますが、ほんとうです。私が五さいぐらいの時でした。
 ある日、私がアイスを食べていると、テレビでライオンとうさぎが、いっしょに昼ねをしていました。私は、びっくりしました。
その時、私は
(そんなはずがない)
と、思って、お父さんに、お母さんに言うと、
「うそなんて、いうなよ。」
と、言われました。でも、二ひきは、お医者さんにおにあいです。これは、ひみつにしておきたいんですが、ここでの話です。この話を聞いた人だけの秘密です。


河合 寿也 様(新潟県燕市立粟生小学校6年)

「「優しさ」を忘れない未来のお医者さん」

河合 寿也

 ぼくの祖母は十年前、胃ガンのために胃の摘出手術を受けました。手術後は食事が上手く取れなくて、この十年間で段々とやせ衰え、重い骨粗しょう症になってしまいました。今では動くのが困難で、家でねたきりの生活を送っています。祖母の日々の痛みや苦しみは、そばにいるぼく達家族の痛みや苦しみでもあります。祖母の世話をしながら、「人間の痛みや苦しみを魔法のように取り除くことができるお医者さんがいただいいのになあ。」とぼくはいつも思うのです。
 祖母が体の痛みに苦しんでいる時に、たった1錠の痛み止めが数時間の安らぎを与えてくれます。苦しい時に頼れる薬のありがたさは誰もが経験したことがあると思いますが、未来にはどんな痛みや苦しみもすぐに和らげてくれる魔法の薬を開発してほしいです。
 そして、祖母は今でもよく、「胃を取らなければ命は縮まってしまっていたかもしてないけれど、こんな苦しみはなかっただろうに。」と、とても残念そうに言います。こう言って苦しんでいる祖母の姿を見る度に、ぼくはとても複雑な気持ちになるのです。手術は本当の最終手段として行われるるものであってほしいと思います。失ったと所や破壊された所はやはり手術でないと無理ですが、最近ではメスを使わなくても悪いところを治療する方法が盛んに取り入れられています。未来にはメスのない手術がもっと進歩して多くの人を助けて欲しいです。
 魔法の薬とメスのない手術の技術を持つ未来のお医者さん。でも、そこにはいつも人の「心」が通っていることを忘れてはいけないと思います。祖母はお医者さんや看護婦さんの優しい言葉や気配りの動作に、気持ちが、そして、時には体が和らぐと言います。医療には、技術と目には見えない大きな力が働いて患者を助けているのです。医療技術が進歩するからこそ、未来のお医者さんには、患者の心も手当てできる「優しさ」が一層必要とされてくるのかもしれないとぼくは思います。


赤津 友理奈 様(青山学院初等部3年)

「未来のお医者さんかんごしさん。」

赤津 友理奈

 私のおじいちゃんは、お医者さんでした。とてもやさしい絵の上手なお医者さんです。
 ある時、おじいちゃんは、病気で色々な事がわからなくなって、体もうまくうごかなくなってしまいました。けれども、
「はじめて、かん者さんの苦しみが、自分でわかるようになったよ。」
と言っていたそうです。
 でもだんだん、お話もできなくなりました。
「あーあ、心の声が聞こえる、ちょうしんきがあったらいいな。」
と私は、思いました。そうすれば、お話ができなくても、
「今一番どうしてほしいのかなあ。」
と思ったとき、たすけてあげる事ができます。
 私達が会いに行くと、ねていても、うれしそうにしていたので、
「気持ちは、通じているのだなー。」
と思いました。
 未来のお医者さんかんごしさん、どうかお話のできないかん者さんの心の声が聞こえる人になりたいです。おじいちゃんのような人が、どうしたいのかわかるまで、何回もたずねたいです。
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