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『第1回未来のお医者さん・看護師さん作文コンクール』
優秀賞作品一覧



岡部 達美 様 (東京都千代田区立麹町小学校6年)

「骨こしょう症を治せるお医者さん」

岡部 達美

 私のおばあちゃんは、千葉県の大原に、一人で住んでいます。おばあちゃんは、十一年前、足腰が悪くなりました。『骨そしょう症』と言うそうです。
 骨そしょう症になると、杖がないと歩けないので、一人では、遠くに行くことができません。また、車に乗ると、具合が悪くなったりすると、おばあちゃんは言います。さらに、おばあちゃんの場合、血圧も高くなったりすることがあります。でも、一番つらいのは、完全に治らないということです。
 私のおばあちゃんは、元気だった時には、小さかった私を、だっこしたり、おんぶしたりしてくれました。そして、料理でもそうじでも、てきぱきとやっていました。だから、私にとってのおばあちゃんは、働いている姿しかなかったのです。それが、急に、うまく立ち上がれなくなり、コルセットをしてヨタヨタ歩くようになりました。でも、おばあちゃんは、痛い足、痛い腰なのに、がまんして、毎日、「リハビリ。リハビリ。」と言って、今でも、庭の草取りをしているのです。そんなおばあちゃんが、かわいそうで、何とかならないかなあと、いつも思っています。
 『骨そしょう症で困っている人は、おばあちゃんだけではないと思います。日本中に、それどころか、地球上にたくさんいると思います。だから、一日も早く、困っている人たちを助けたいのです。だから、未来のお医者さんに、『骨そしょう症』が治せるようなお医者さんがいたらいいと思います。
 私は、おばあちゃんの『骨そしょう症』が治ったら、遠くまで一緒に、旅行に行ったり、ドライブしたりしたいです。今度は、私が、おんぶしてあげたいなぁ。そんな夢を、未来のお医者さんにかなえてほしいと思います。
是非かなえてほしいと、心から願っているのです。


亀山 飛呂斗 様 (栃木県佐野市立野上小学校6年)

「世界を飛びまわる医者」

亀山 飛呂斗

 ぼくは、どんなけがや病気でも必ず治せるお医者さんがいたらいいなと思います。
 なぜなら、大けがで足などの骨が五本おれたら、手術をして、骨を付け手術が成功したとしても、しょうがいぼくは、未来には、世界中を飛びまわっている医者がいたらいいと思います。その医者は、伝染病やいろいろな病気で苦しんでいる人から連絡がくると、自家用ジェット機ですぐにかけつけ、ちりょうして助けてくれる医者です。
 ぼくは、テレビで戦争が終わったのに、地らいや爆弾で足をなくしたり、けがをしたりしている人がいる外国のことを見たことがあります。
 その国では、戦争が終わり、子ども達が遊んでいました。でも、地らいをふんでしまい、大けがをする子もたくさんいました。その子たちは病気に運ばれましたが、医者は十分なちりょうすることができませんでした。そのため、今も体の中にはへんが残ったまま生活している子がいました。
 ぼくは、このテレビを見て外国では、戦争が終わったのに地らいなどをふんでけがをする人がいることを知り、戦争をした国では、子ども達は、安心して外で遊んだりできなくて、かわいそうに思いました。そして、日本のように医学が発達していないために、けがをした子をちりょうしてあげられなかった様子を見てとてもショックでした。
 だから、これからはこういう国にも、自家用ジェット機ですぐにかけつけて、ちりょうしてくれる医者がいれば、この子たちは、助かるのだと思いました。
 世界中に、こういう医者が増えるといいと思いました。


戸叶 健太 様 (栃木県佐野市立野上小学校6年)

「未来のお医者さん」

戸叶 健太

 ぼくは、どんなけがや病気でも必ず治せるお医者さんがいたらいいなと思います。
 なぜなら、大けがで足などの骨が五本おれたら、手術をして、骨を付け手術が成功したとしても、しょうがいで歩けなくなってしまうかもしれません。生活をしていくのに不便になってしまいます。どんなけがでも必ず治せるお医者さんがいたらいいなと思います。
 病気でも、がんなどのいろいろな病気が治せなくて、お医者さんがどうすることもできなく命を落としてしまう人をテレビでよく見たことがあります。
 また、もう一つテレビや新聞で見たことがあります。それは、鳥インフルエンザという病気に鳥がかかってしまって、それが人に移ってしまうのです。インフルエンザになっていることをかっている人がしらないで、鳥小屋に入ってしまい、インフルエンザのウイルスが、服や頭についてしまいます。知らずに家の中に入って、その人が鳥インフルエンザにかかってしまうのです。病院に行っても、お医者さんはどんなちりょうをしていいのかわからずそのまま死んでしまうことをテレビや新聞で見ました。お医者さん、「お医者さん」というのだから、
どんな病気やけがでも対おうできるようなお医者さんがいたらいいなと思います。


今井 ユリカ 様 (長崎県長崎市立坂本小学校2年)

「みらいのおいしゃさん」

今井 ユリカ

 わたしのおかあさんは、めまいのくすりをのんでるのに、ぜんぜんなおりません。
 今のおいしゃさんは、
「わかりません。」
 とか
「だいじょうぶですよ。」
 とかばっかり言います。
 おかあさんとでかけたり、テレビを見てる時とかは、ふらふらしてるそうです。
 わたしは、しんぱいして、
「めまいをなおしてくれるおいしゃさんっていないかなぁ。」
と言いました。
「はぁ。めまいをなおしてほしいよ。だれかなおしてー。」
と言いました。
 わたしは、よけいにしんぱいになりました。
 もし、わたしがおいしゃさんだったら、まず、けつえきけんさをして、ちをしらべて、そのわるいちをなおすくすりを、二ふくろあげて、めまいを一っぱつでなおすくすりもあげてなおしてあげたいなぁと思います。
 そして、わたしとあまり出かけられなかったおかあさんも、わたしと出かけられるようになって、楽しい思い出がいっぱいになると思います。いつかそうなってほしいなぁと、いつもこころからねがってます。


今村 愛花 様 (鹿児島県鹿屋市立南小学校3年)

「みらいのかんごしさん」

今村 愛花

 私は大きくなったらやさしくてかわいいかんごしさんになりたいな。そしてかんじゃさんの気もちをりかいしてあげられるすてきなかんごしさんになりたいな。それは私がかぜをひいてびょう院に行った時、こんなことがあったからです。
「どうされましたか。」
ピンク色のナースふくをきたかんごしさんがママに聞きました。ママは
「夜から四十度のねつが下がらなくて。」
ってせつめいしてます。その横で顔をまっ赤にした私は気分が悪くて泣いていました。
「てんてきをしましょう。」
とおいしゃさんが言いました。ちゅうしゃがきらいな私はとっても不安になりました。その様子に気付いたかんごしさんは、
「大丈夫だよ。すぐ終わるからがんばろうね。」
って私のせなかをさすってくれました。ちゅうしゃのはりがさされている時も、ずっと私手をにぎっていてくれました。そして
「すぐよくなるからね。」
ってニコッてして私をはげましてくれました。私はその時かんごしさんっていいなと思いました。だから私も大きくなったらこのかんごしさんのように心が分かるやさしいかんごしさんになりたいと思いました。
未来のかんごしさんそれは今といっしょてニコニコのえがおでやさしいすてきなかんごしさんです。


今村 彪雅 様 (鹿児島県鹿屋市立南小学校2年)

「みらいのおいしゃさん」

今村 ひょうが

「ご気分いかがですか?」
ぼくがそう言うと、
「とっても元気ですよ。」
っておばあちゃんはこたえました。ぼくは大きくなっておいしゃさんになりました。でもぼくは手じゅつなんてしないよ。だって今はね、手じゅつをしなければならないほどびょう気がひどくならないんだよ。それはねぼくのびょういんにひみつがあるんだ。そのようすをぼくのニコニコ園でのぞいてみましょう。
「ワンワン、ワンワン」
「ニャー。ニャーァ」
「メェー。メェー。」
おやおやこんななきごえがきこえてきました。一体なんなんでしょう。ポニーのヒヒーン先生にきいてみましょう。
「このニコニコ園では、たくさんのどうぶつ先生がはたらいています。犬のワン先生、ねこのニャン先生、やぎのメェ先生、ほかにもたくさんのどうぶつ先生がいるんですよ。ぼくたちは人間の何十ばいもはなや耳がいいんだ。だから人間のちょっとしたへんかもすぐ分かるんだよ。ここには毎日たくさんの人があそびにくるんだ。ぼくたちとあそぶことによってけんさをうけてるんだ。」
「へぇ。すごいですね。では一体びょう気をはっけんしたらどうするのでしょう?」
「その時はひょうが先生やかんごしさん人間のでばんさ。おとくいのニコニコえがおでしんさつするのさ。でもね、みんなびょう気になるまえにびょうきがみつかるから、おなかをコチョコチョこうげきするだけで、すぐなおるんだ。どうしてかって?だってみんな、大きなこえでわらうんだ。ワハハハー。アハハハー。って。わらうとみんなすてきなえがおになるんだ。びょうきなんてとんでいっちゃうよ。だってわらうかどにふくきたるっていうでしょう。」


佐宗 菜美 様 (東京都世田谷区立給田小学校5年)

「未来のお医者さん看護婦さん」

佐宗 菜美

 一年生の終業式が終わった三月、私の母は入院することになり春休みの間、私は祖母の家に泊まりに行きました。母は入院して三日後に手術し、私と祖母がお見舞いに行くと母は、お医者さんや看護師さんの大変なお仕事に、感動していました。お医者さんや看護師さんは仕事に自信を持ち毎日朝早くから夜遅くまで働いてがんばっているようです。看護師さんがいて患者さんも安心して入院する事ができるのだと母は話してくれました。
 今の日本人口は高令化社会になりお年寄りが多くなって、私達がお年寄りを支える日が数年後に近ずいている事をニュースや新聞で見ました。お医者さんや看護師さんの人手不足にもなり安心して生きていく事ができません。
 こんな日が来る前に人造人間ロボット看護師を造り少しでも医りょうに関係のある人達にゆとりを持たせお医者さんや看護師さんを大事にしていかなければいけないと思いました。看護師さんの仕事の多さを少なくできるように、私達が考えなくてはいけない問題だと思います。
 患者さんが病気の事で誰にも言えない心の病気もあると母は、話をしてくれました。誰にも言えない事や家族に心配させたくない、病気との悩みを多勢の人がかかえていると思います。
 こんな人達のために人造人間ロボットが心の支えになってくれたり励ましたり勇気をあたえたりする事は、ロボットだからできるような気がします。
 今年の夏は、スペースシャトルが宇宙に打ちあげられ日本人の野口さんは、子供の項からの夢を実現しました。
 私も勉強して将来は女医さんになって病気で困っている人を助けたいと思います。



旦 妃奈乃 様 (愛知県長久手西小学校1年)

「みらいのおいしゃさん」

だん ひなの

 まず、おいしゃさんにきたら、へやのなかで、うけつけをします。それからそとに出てばんごうのふだとおな
じすうじのかいてあるいすを見つけだして、こどもかおとながすわります。
 びょうきでもあそびたいこどもは、こうえんであそんでいてもいいです。
 びょうきの人ようのこうえんでは、すきなゆうぐであそべます。
 しんさつのじゅんばんがくると、いすがじどうてきにうごいておいしゃさんのところまでつれていってくれます。
 すごいひごい人は、てんてきをうけます。うけるばしょは、ベットではありません。それはおいしゃさんのもり
のなかにあるハンモックでうけます。てんてきは、さすときにいたくないようにますいみたいなクリームをぬりま
す。てんてきをうけているあいだは、ハンモックでねています。てんてきをうけていても、かにさされることはあ
りません。それはとうめいなかやがはってあるからです。
 てんてきがおわったら、にゅういんするのかはっぴょうされます。「にゅういんしない。」といわれたら、よばれ
るまでこうえんであそべます。よばれたらくすりをとりにいって、おかねをはらってかえっていいのですが、「にゅ
ういんです。」といわれたら、ハンモックでぐっすりねてやすみます。おかあさんはおうちにかえって、こどものき
がえと、じぶんのきがえをとりにいきます。
 かえってきたおかあさんは、ゴルフやテニスやボーリングがアスレチックこうえんで、できるので、それをしてあ
そぶことができるので、たいくつになることはありません。こどもが、よくなったらいっしょにあそべるのでがんばっ
てはやくよくなるかもしれないですね。



長谷川 綾乃 様 (愛知県豊田私立市木小学校3年)

「未来のお医者さん」

長谷川 綾乃

 今年の一月、私の家のにわに一匹の猫がまよいこんできました。ねずみ色と黒のしましまで、目はくりくり。
よく見たら首に首わをしています。
「お母ーさん。にわに猫が来てるよ。」
と私が叫ぶと、お母さんがあわてて出てきて
「あれ?どこの子だろう?」
と言いました。その猫は、とってもお腹がすいているみたいで、私の目を見てなきながら足にすりすり。ダンボールの中にもうふをひいて、あたたかい牛にゅうとごはんをあげたら、ガツガツとすごく早く食べました。
 お母さんがとってもむずかしい顔をしています。私がお母さんに近寄るとおかあさんが、
「この子、もしかしたらまいごになっている んじゃないかな?つめものびてるし、それ
 にすごくやせちゃってるでしょ。病院に連 れていったら、飼い主さんがわかるんじゃ
 ないかな。」
といいました。動物病院は、夜7時までです。6時50分に家に出て、いそいで車で行きました。お母さんが病院の先生と話している間、私は妹といっしょにカゴに入ったねこを見ていました。ブルブルふるえて、とてもかなしそうだった。先生やかんごふさんが、いろいろな人に電話したり、お母さんがラジオ局にじょうほうをあつめてもらったりしたけれど、けっきょくどこの子かわかりませんでした。
 はじめてあった日から、7ヶ月と7日目。私の家で「てつ」とよばれていたその猫は、しずかにてんごくに行ってしまいました。きっと飼い主さんに、さいごに会いたかっただろうなぁと思ったら、よけいにかなしくなりました。たくさんのお医者さんが手をつないで、まいごになった動物を飼い主さんの元にもどせるようにさがしてくれる。そんなふうになったらいいなぁ。てつが天国に行く2日前私は猫がわらうのをはじめて見ました。本当にニコッとしたんです。あのときのかわいい顔飼い主さんにも見せてあげたかったなぁ。


畑 まりな 様 (兵庫県姫路市荒川小学校2年)

「みらいの お医者さん」

畑 まりな

 わたしが、お医者さんになったら。まず、ニコニコえ顔で、にんにちは。
 わたしの、クリニックの名前は、『ニコニコハウス・マリナ』。わたしのえ顔は、とびっきり。だから、不安でどきどきしている子も、ほっとする。
 わたしは、しょっちゅう、けがをする。そして、お医者さんに行く。ころんで、すねぼんにケガをして、すっごく、いたい。かんごしさんは、にこにこしているけれども、お医者さんは、わらわない。
 ニコッとしてくれたら、いいのにな。そうしたら、いたいのが、ちょっとだけ、ひいていくと思う。
 だから、わたしがお医者さんになったら、ニコニコ。そして、しんさつするへやに、わたしの楽しい絵。おもしろい、ぬいぐるみ。
 いっぱい、かざって、ここはどこだろーって、思わせるの。びょう気とか、けがのことを、わすれてしまうの。
 楽しいへやでね、ニコニコしてしんさつしてね、やさしいことばで、話すの。そしてね、かんじゃさんのことを、きいてあげる。
 うすいピンクと、うすい青色のおへやに、わたしのすきなお花のにおいをながすの。
 お年よりの人とか、うごくのが大へんな人には、テレビつき電話で、お話をする。テレビにうつるから、安心、安心。
 おやさいや、くだもの、おいしいお水をいっぱい食べて、体がよくなるように言う。わたしの作った、こんだて表とかを、ピッと、ファックスする。もちろん、わたしの、お手紙つきで。



武岡 海咲 様 (大阪府和泉市立南横山小学校2年)

「未来のかんごしさん」

たけおか みさき

 わたしのゆめはかんごしさんです。だからだいをかんごしさんにしました。大きくなってかんごしさんになって人を元気にさせてあげたい。おなかのおっきいおかあさんとかいたら元気な赤ちゃんをうましてあげたいとねがってます。わたしはがびょういんに行くとしんせつにしてくれたからわたしがかんごしさんになってもしんせつにしていきたいとおもいます。
 赤ちゃんがびょうきになってもやめるまでずっとしんせつでいたい。どこのびょういんをするかは、わかりませんがぜったいに、かんごしさんになりたいです。あかちゃんがうまれたら「オギャーオギャー」と元気よくうまれてほしいとおもいます。赤ちゃんがうまれたら元気にせいちょうしていってほしいとおもいます。がんばってかんごしさんになって元気なあかちゃんをうませたいです。わたしはテレビでナースのおしごとというテレビをみています。だからかんごしさんっていいなとおもいました。それでかんごしさんにしました。大きくなって
かんごしさんになっていっぱいともだちをふやしたいです。わたしは、おなかの大きい人をいっぱいいっぱいかわいいあかちゃんをうましてあげたい。びょういんはたいへんだとおもうずっとしていたらたのしくなるかなぁーとおもういろいろな人赤ちゃんをうまそうといったら一日でたすけてあげる。おなかのおっきい人をじぶんだけでたすけてあげたい。わたしのともだちがわたしのびょういんにきたらはやくあかちゃんをうましてあげたいです。ナースのおしごとではいろいろな人がででます。わたしもそんな人になりたいアルバイトもびょういんで
ずっとずっとびょういんでいたいです。
びょういんの本をいっぱいよんでびょういんをならって見たいです。がんばってかんごしさんになって人気のあるかんごしさんになって見たいです。わたしは、人に人気があっていろいろな人をたすけてあげたいです。


脇田 晃成 様 (大阪府柏原私立旭ヶ丘小学校4年)

「未来のお医者さん」

脇田 晃成

 ぼくのおばあちゃんが目の状態がおかしくなったので、病気に行きました。すると、お医者さんに、「なぜもっと早く来なかったの?手遅れになるところだったわよ」と言われたそうです。おばあちゃんはお店の仕事をしていて忙しかったので、ついつい病院に行く時間がなかったのです。おばあちゃんはそれから手術をし、なんとか直ることができましたが、それまでぼくたちはたいへん心配しました。ぼくは、もっと気軽に病気かどうかチェックしてくれるロボットドクターが家にあればいいなと思います。そして、そのロボットとつながっている携
帯用のポケットドクターも、旅行などに持っていくと便利なので、合わせて開発されればいいなと思います。海外で病気になるとたくさんのお金がかかるときいたからです。手遅れで病気がひどくなったりする人や、早くに処置をすれば病気にならない人は大勢いると思います。ぼくの父も母も毎日たいへん忙しいですし、大切な家族が病気になったらいやです。みんなが少しでも健康な暮らしができるように、ぼくはそんな「身近で小さなお医者さん」がほしいです。


脇田 彩衣 様 (大阪府柏原私立旭ヶ丘小学校6年)

「未来のお医者さん」

脇田 彩衣

 私のおばあちゃんもおじいちゃんも手術を受けたことがあります。二人とも、手術と聞くととても不安な様子で、
「身体に刃物は入れたくないなぁ」と言っていました。手術の日、私が両親と一緒に病院についていってあげると、おばあちゃんは「こわいなぁ」と言っていましたし、おじいちゃんは「行ってくるわ」と、とても緊張した様子でした。無事手術が終わり、麻酔から覚めると、今度は切った傷口が痛くてつらいのだと言っていました。私は、年を取っているおばあちゃんやおじいちゃんだけに、よけいにかわいそうに思いました。おじいちゃんのお見舞いに行ったとき、少し回復してきたおじいちゃんが私におなかの傷口を少し見せてくれたことがありますが、赤黒く腫れていて、とっても痛そうでした。私は、切る手術をした人がみんなこんなにつらく苦しまなければならないのは大変いやなことだなと思いました。
 ですから、私はどんなに大きな手術でも、切らずに直せるお医者さんになれればいいなと思います。今でも、小さな手術ならレーザーで悪い箇所だけを切る手術ができるそうですが、どんな病気もそういう風に治せればいいなと思います。こわくない手術、すぐに直せる治療のスーパードクター、サエ先生!世界中の、難病で苦しんでいる人たちも私の手でぜひ治してあげたいと思います。


岩上 りさ 様 (栃木県佐野市立山形小学校1年)

「びょういんてすごいなあ」

いわかみ りさ

 わたしは、よくおぼえていませんが、ちいさいころよくねつをだしたそうです。ねつをだすとねっせいけいれんというのがあって、いままでに、七かいもひきつけをおこしたそうです。だから、ねつがでると、いつもおしりからくすりをいれるので、いたくていやです。
 おとうとも、ねつがでるとおしりからくすりをいれます。おとうとはぜんそくなので、まいにちきゅうにゅうをしておくすりをのみます。ずっとやっているので、ほっさがなくなりました。
 おなかをポンポンするだけでびょうきがわかるおいしゃさんは、すごいなあとおもいました。かんごしさんは、いつも、やさしくてすてきだとおもいました。
 おいしゃさんにいって、よぼうせっしゅをするときがあります。わたしは、ちゅうしゃはいたいけどびょうきがなおるのでだいすきです。わたしは、ちゅうしゃがいたくないおいしゃさんがいたらいいな、とおもいます。
そして、せかいじゅうのぜんぶのびょうきがなおせるおいしゃさんがいたらいいとおもいます。
 わたしには、おおきくなったらなってみたいものがあります。それは、はいしゃさんです。かんじゃさんにやさしくちりょうがしてあげられるはいしゃさんになりたいです。たくさんのひとのむしばをなおしたり、はならびをきれいにしたりして、みんなのえがおがもっとかがやくようになったらいいなとおもいます。
 いままでは、たくさんねつをだして、おいしゃさんにいっぱいおせわになったけど、これからは、けんこうにきをつけて、ねつをださないことが、おいしゃさんやかんごふさんへのありがとうのきもちになるとおもいます。


佐瀬 雛乃 様 (栃木県佐野市立山形小学校3年)

佐瀬 雛乃

 わたしは、一年生の時、自転車のタイヤの部分に足をはさんだことがあります。かわがむけて、ちが出て、あざがいっぱいできました。すぐにびょういんへ行って、手当てをしてもらいました。大きなほうたいだったので、
心配になりました。それからしばらくの間、かいだんを上がるのもたいへんでした。わたしは、その時、「ちゃんとなおるかなぁ。このままなおらなかったら、どうしよう。」
と、毎日、けがをしたところを見ていました。何日かすると、だんだんよくなってきて、本当によかったと思ったのをおぼえています。
 けがをしている間、毎日とてもふ安でした。びょう気や大きなけがをしている人は、わたしよりも、もっとふ安な気持ちだと思います。だから、そんな人たちのふ安な気持ちが、どこかにとんでいってしまうような手品やマジシャンの上手なかんごしさんがいてくれたらいいと思いました。その人のすきな花や動物を目の前に出してもらったら、気持ちがおちつくと思います。
 それから、いつなおるか分からないで心配な時は、びょう気やけががどのくらいでよくなり、いつなおるのかが分かる、ちょうのう力を使えるおいしゃさんがいてくれたらいいのに、と思います。いつなおるか分かれば、あまりふ安にならなくてすむと思うからです。そして、そのちょうのう力で、次にいつびょう気やけがをするときがあるか知らせてくれるおいしゃさんがいたらいいです。そうすれば、びょう気にならないように、気を付けることができると思います。
 わたしは、びょう気やけがは、いやです。でも、びょう気やけがでびょういんへ行った時、かんじゃさんにやさしくて、かんじゃさんのふ安な気持ちを分かってくれるかんごしさんやおいしゃさんがいてくれれば、安心できると思います。


佐瀬 穂香 様 (栃木県佐野市立山形小学校6年)

佐瀬 穂香

 私は魔法使いのお医者さんがいたらいいなと思います。例えば、山奥でそう難し、大けがをした人がいたとします。そうすると、ヘリコプターで行ったりするのは、とても大変で時間もかかります。
 でも、魔法が使えたらほうきでひとっ飛びしたり、しゅん間移動したり、あまり時間はかかりません。病院に患者さんがたくさんいて混雑している時も、分身して一度に何人もの人を見ることもできます。
 それにどうしても治らない時は、自分で薬を作ることができます。もし、事故にあって死んでしまった人がいたとしても、時間をもどして
「今日はあなたが事故にあうから家にいて。」
 と言って事故にあわないこともできます。また、小さくなって病気の人の体の中に入り、悪いところに薬をぬって治すことができます。ドラえもんみたいに、いろいろな道具を出して病気を治すこともできます。そうすればほとんどの人が病気から救われると思います。
 でも魔法が使えれば、どんな人でもいいということはないと思います。魔法が使えたとしても、治すのがめんどうくさいとか、いやだとかそういう人だったら意味がありません。
 私や家族の知っているお医者さんは、みんなとても優しいです。病気やけがで不安な時に、笑顔で優しく応対してくれます。すると今まで不安だった気持ちが安心に変わります。もし、お医者さんが優しくなかったら、病気は治るかもしれないけれど、そんなお医者さんにはかかりたくないという気持ちになります。病気を治すだけだったら、ロボットにもできるかもしれません。
 ですから、私の理想のお医者さんはまず優しい先生です。そして、その優しさ以上に愛情を注いでくれて、その上魔法が使えたらいいなと思います。


秋山 悠一朗 様 (栃木県佐野市立山形小学校2年)

「みらいのおいしゃさん」

秋山 悠一朗

 ぼくには、おじいちゃんが一人、おばあちゃんが二人います。おとうさんのほうのおじいちゃんは、ぼくが三さいの時になくなりました。びょうきの名前はガンです。
 ぼくは、よくおぼえていないけれどたくさんおなかを切ったあとがあったと、おとうさんが話してくれました。
 ぼくは、よくころんでけがをします。その時は、いたいのでおふろに入るのもいやだと思う時があります。きっとおじいちゃんは、もっといたかっただろうなと思います。
 おなかを切らなくても、一つだけのめばなおしてしまうくすりをつくれるおいしゃさんがあらわれたらいいなと思います。
 ぼくにも、そんなおいしゃさんがいたら、おかあさんをかなしませなくてすむのにな。
 ぼくは、ぜんそくです。ぜんそくは、とてもくるしいです。おかあさんは、ぼくがせきをすると、かなしい顔をします。くるしいぼくの顔を見たくないそうです。いつもいつもぼくのせきを気にしています。
 ぼくは、小さい時から、毎日くすりをのんでいます。
「このくすりが、一かいだけのめば、なおってしまえばいいのにな。」
と、思いながらのんでいます。
 みらいになったらどこのびょういんに行っても、かえる時には、みんな元気になってしまう、そんなおいしゃさんばかりになっているといいなと思います。
 そして、二人のおじいちゃんとおばあちゃんには、いつまでも元気でいてほしいです。ぼくのぜんそくも早くなおるといいのにな。


森下 智大 様 (栃木県佐野市立山形小学校5年)

「未来のお医者さん」

森下 智大

 ぼくは、この作文を書こうと思った時、未来のお医者さんについて、いろいろなことを考えました。それは、
「やさしくて、治りょうが痛くなくて、ただ飲むたけで何でも病気が治ってしまう薬や、自分の好きな味のする薬を作ってくれるお医者さん」がいたらいいなと思いました。
 ぼくが小さいころ、耳と鼻をみてもらったことがありました。その時、お医者さんに、
「とても重い。」
と言われました。それを聞いてぼくは
「一生治らないのかな。」
と思いました。でも、がんばって苦い薬を飲んでいったら、ようやく治りました。
 ぼくは、薬がおいしいのかなと思って始めは飲んでみましたが、とても苦かったので、もう飲みたくないと思いました。薬がもっとおいしければよかったのになと思いました。
 また、昔は医学が発達していないから、痛みが出てもがまんするしかなかったんだと思います。今はまだ、ガンやとうにょう病など薬では治りにくい病気もありますが、大ていの病気は、薬で治ります。そこでぼくが思ったことは、何でも治せる薬を作ってしまえばいいなとぼくは思います。残念なことに、今の医学では、作れないのことが、科学が発達する未来では、可能になるかもしれません。
 もう一つは、医者がロボットになるのがいいのではないだろうか。ロボットが治りょうすれば、忙しい時でも、楽々にできるのだろと思います。また、ロボットになら、人の手ではできない難しい病気やけがの治りょうができるようになると思います。そうすれば、最近ニュースで伝えられるような医りょうミスもなくなり、安心できるようになると思います。
 まだまだぼくは、病気が苦手です。それをこく服し、病気になっても強い意志で、病気とたたかえるようにしたいと思います。


青木 啓能 様 (栃木県佐野市立山形小学校4年)

「未来のお医者さん」

青木 あきの

 わたしは、一年生ぐらいの時に、水ぼうそうにかかりました。朝おきた時、とてもかゆかったので、お父さんとお母さんに、言ってみました。
「ねえ、さっきからここがかゆいよー。」
とわたしがいいました。
「うん、お母さんと、医者に行ってきな。」
と、お父さんに言われました。
お父さんに言われて、医者にいきました。お医者さんに行って見てもらう時も、とてもかゆかったです。そして、わたしは、こんなお医者さんがいたらいいなとおもいました。それは、ちょうのうりょくのお医者さんです。お医者さんが、かゆいところを、ただゆびでこするだけでこすったところがかゆくなくなるということです。そしてお医者さんに行ったら、こういわれました。
「この薬をかゆいところに、ぬってください。あと、少しちゃいろくなったらまた来てくださいね。」
と、お医者さんがいいました。
「はいわかりました。」
とわたしがいいました。でも、こんどは、あの薬をぬらなくてもいいのです。それもいたくなくて、おまじないを一言言っただけで、二日たてば完全になおってしまうのです。そういうちょうのう力を使えるお医者さんがいたらいいなと思います。その一言は、
「な」
 と、言うだけです。「な」というのは、「なおってね」という気もちをこめて言うのです。そんなお医者さんがいたら、病気で苦しんでいる人も、みんな元気になってしまうことでしょう。わたしもなれたらいいなと思いました。


川島 絵里佳 様 (栃木県佐野市立山形小学校5年)

「やさしいかん護師」

川島 絵里佳

 私は、しょう来かん護師になろうと思っています。
 ある日私は、熱を出してしまいました。母さんは氷まくらを作ってくれました。お薬を布団まで持ってきてくれました。となりにねてくれて頭をもんでくれました。その時私は、とても良い気持ちでした。それからほっとする気持ちと熱の原因をやっつけるぞという気持ちと、母に感謝するという気持ちなどいろいろな気持ちがわき上がりました。私はこんな良い気持ちに病気の人がなれたらいいなあとその時思いました。それで私は、かん護師になりたいと思ったのです。人を良い気持ちにしてあげられる仕事を選ぶことは、私の心も温かくしくくれるのだと思ったからです。
 私の母は病院でかん護師の仕事をしています。母の働く姿を見たことがありますが、家での母とはちがいます。
かん者さんの近くに寄り、やさしく声をかけています。また、かん者さんと接する時は、いつもにこにこしています。母の顔はかがやいて見えます。そんな家とはちょっとちがうかん護師の母を、私はほこりに思っています。
 私の母が一生けん命やっているかん護師の仕事を私にできるかどうかわからないけど、私はかん護師になるという夢に向って、勉強をがんばりたいと思います。そして、いつか必ず母のような素敵なかん護師になりたいと思います。


津野 直樹 様 (栃木県佐野市立山形小学校5年)

「未来のお医者さん」

津野 直樹

 ぼくは、未来のお医者さんで次のようなお医者さんがいたらいいなあと思います。
 一つ目に、飲むと効果がある薬をいろいろ作ってその薬を安くはん売してくれたらいいなあと思います。なぜかというと、すごいききめの薬は買うととてもお金がかかるからです。
 二つ目にすごい重い病気を短時間の手術で治すことをできる、お医者さんがいたらいいなあと思います。なぜかというと、今はすごくこわい病気がいっぱいあり、その上手術の難しい病気がとても多いのでだからそういう病気を短い時間の手術でなおせたらいいからです。
 三つ目に、アレルギーなどをかんたんになおせたらいいと思います。なぜかというと、ぼくはたまごアレルギーなので食べられないものがあります。そのほかに、すぎなどの花粉しょうなどのアレルギーを、なおせたらいいからです。
 四つ目に、こっせつやほねにひびが入ったりするのをなおすのは数ヶ月もかかるので、数日間でほねがくっついたらいいと思いました。
 最後に、病気の検査がかんたんなやりかたになったらいいと思いました。なざかというと小さい子などが検査をいやがるかもしれないからです。すごくいたい検査も、小さい子がねている間に短時間で正しくできればいいと思います。
 このようなお医者さんがいれば世の中も安心するかもしれません。だからぼくは未来がたのしみです。


田島 大和 様 (栃木県佐野市立山形小学校4年)

「未来のお医者さん」

田島 大和

 ぼくのお母さんは、かんごしをしています。今は、ディサービスセンターというふくししせつでお年よりのかいごのしごとをしています。身体を自分では動かせない人を持ち上げたり、病気になって思うように歩けない人をささえてあげたりするので、とても大変な仕事だそうです。でも、お母さんは、そんな仕事を、「楽しい」と話してくれます。ぼくはふしぎに思います。
 お母さんは小学生のころからしょう来のゆめはかんごしになることだったそうです。それはぼくのおばあちゃんが体が弱く、お母さんはよく病院で働くお医者さんやかんごしさんの様子を見ることが多くあったからだそうです。そして「かんごしになりたい。」と強く心に決めた理由は、「六年生の時のたんにんの先生のおくさんがかんごしさんでお母さんのゆめを知った先生がどうしたらかんごし さんになれるのか教えてくれたからだよ。」と話してくれました。お母さんは、かんごしになった時、一番最初にその先生にそのことを伝えて先生は、とてもよろこんでくれたそうです。
 ぼくもかぜを引いた時、病院へ行ってお医者さんやかんごしさんにお世話になります。病院は薬のにおいがすごくするので少しこわくなります。そんな時、お医者さんやかんごしさんがやさしく声をかけてくれるので少し安心します。もし、ぼくがかぜを引いて病院へ行くとしたら、ぼくは熱が出やすいので自分で薬が作れてはやく熱が下がって元気になれるお医者さんがいいなと思います。



辻 百合香 様 (東京都杉並区立浜田山小学校5年生)

「未来のお医者さん」

辻 百合香

 父は大学病院に勤務する小児科の医師です。朝は早く、夜は遅い生活です。また、土、日も出勤するので、父と言葉をかわすのは限られます。でも、家族から見て、働き者の父として尊敬しています。少しは家にいてほしいと願うのですが、人命を預かる身である以上、患者さん優先は当然のことです。父が病院に顔を出すことで、
患者さんが、いかに元気づけられ、安心されてるかを家族が理解しているのです。父もそのことが誇りなのです。
 さて、ここで未来のお医者さんを考えてみたいです。将来、ロボットがお医者さんの役割を果たすことになるでしょう。今でも手術の細かい部分は機械でやることがあるので、手術の時の助手の仕事はロボットが代わってやり、道具もセンサーで見きわめて、渡したりできるようになります。それから、遺伝子情報も正確に得られ、
誰がどんな病気にかかりやすいかも分かり、食べ物にも気をつけた生活になります。従って、病気になる人が今よりもぐんぐんと減るでしょう。そして、今の医学では治せない病気も治せるように、医学が発達します。無人病院もでき、自分の遺伝子や様体などを書いたメモやカルテを機械に入れるだけで、軽い病気の処方箋まで可能になってきます。
 一方、新たな病気も発生するので、全く病気のない世界は、夢の世界であり、いつの時代にも医療は必要です。
でも、どんなにロボットが進歩しても、できないことがあります。それは、患者さんとの心の触れ合いです。たとえ重病の患者さんであっても、生きる希望を与えてあげることがロボットにできないお医者さんとしての務めなのです。そのことは大切なことです。今後、様々な医療機器や、技術が発達し、未来の医療は大きく変わっていくでしょうが、変わってならないのは、お医者さんの、患者さんへの温かい心です。

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